三文日記、散文日記、さんぶんにっき
久しぶりにブログを投稿しました。
どんなことを書こうかグルグル悩んでいたり、久しぶりの投稿に向けて下書きなんかも用意したりしていました。それよりも、どんな形であれアウトプットした方が気持ちがいいのではないかと思い、この文章を書くことにしました。
少しでも自分の気持ちを書くことができて、嬉しいです。
以上は、三つの構成で書かれた日記です。
この記事を参考に書き上げたものになります。
このとおりでは無いですが😅
↑参考リンク↑
①できごと
②くわしく
③きもち
この構成で書くだけで気持ちを分析できることが分かり、なるべく毎日少しでもブログを触ろうという意思表示です。
2020年は、仕事を復帰してもずっと辛いまま、例の感染症で好きな所へ行けず、気が紛れないまま30歳になりました。
ですが、三文日記に出会ったことで、気持ちを分析することの良さに気付きました。
気持ちを分析することは、ただ落ち込んだり反省しっぱなしになったりするのではなく、自分の感情を受止め、次の対策を講じる手段の足掛かりになっているからだと私は思っています。
まずは自分の感情を認めることで、楽になります。自分だけの感情なので。
どんなことを感じても自分です。
ある事柄に「うぜぇ」「やばい(嬉しい)」って言葉が始めに出てきたら、喜怒哀楽に振り分けたり、どうしてかな?と問い直すと、できごとが浮かんできて三文日記のできあがり。
始めに書いたこととはズレますが、三文日記の構成は、序論、本論、結論とかいう論文的なサムシングにもなるわけです。
これを活用して、自分の気持ちを分析するだけでなく、相手の行動を分析することにも役立つと私は考えます。
例えば、ありがたいお言葉を頂いて、良薬なのかただの口に苦い薬にもならんやつなのかを判断したいなんてとき、
「①○○さんに、アレコレ言われて嫌な気持ちになった。(ここで、どう感じたかを出しておくと、気持ちが楽になる気がします。)
②なぜ、このタイミングでこのこと言うのかと言うと…○○だからだ(ここで5W1Hの状況判断を行うと、自分のためか、ただの相手の都合で感情をぶつけに来ているのかが整頓できる)
③
良薬の場合→大事な事だから、少し嫌な気持ちになったけど、受け止めて行動しよう。
薬にもならんやつ→分かりました。すみませんでした。次気をつけます。(ウルセェナァピッピロピー🤪🤪🤪)
こう考えることでとても楽になりました。
きっと、生きるのが上手い人は、早い段階で自然と会得しているのかもしれないなぁなんて思うと少し悲しい気持ちになるので、私は今こういう段階なんだな、って自分を一つの線にして考えることにしました。
だから、何か悩んでいる人に届けばいいな、と思って書きました。
年末年始と1月上旬は、災害レベルの大雪により、引きこもりを強制されたために自分をゆっくり見つめ直せました。
このことについてはまた詳しく書こうと思っています。
まーた、長く記事を書いちゃったよ。
ではまた明日。
(また明日、なんて風に考えられるようになったんだなぁ)